純資産200万ドル前後の方が市民権放棄やグリーンカード返納前に確認したいこと
日本への帰国や生活拠点の変更をきっかけに、米国市民権の放棄やグリーンカードの返納を検討する方がいます。その際、「自分の資産は200万ドル未満だから、米国出国税は心配しなくてよい」と考えてしまうことがあります。しかし、米国の出国税制度では、純資産額に加えて、過去の税額や申告義務の履行状況も確認します。さらに、資産の名義、年金の種類、勤務先から受け取る将来の報酬によって、計算対象や課税の時期が変わります。
特に純資産が200万ドルに近い方は、企業年金や未確定のRSUを見落とすことで、想定していた結果が変わる可能性があります。また、出国時の税金が少額でも、将来、米国に暮らす家族へ財産を渡す際に別の課税が生じることがあります。本記事では、米国内国歳入法第877A条の出国税を中心に、判断を誤りやすいポイントと、手続前に準備しておきたい資料を解説します。
1 米国出国税の対象になる人
米国出国税は、単に米国から引っ越した人すべてに適用される制度ではありません。対象となるのは、米国市民権を放棄する方や、長期居住者としての税務上の地位を終了する方のうち、Covered Expatriateに該当する方です。長期居住者は、原則として、グリーンカード放棄の年を含む過去15課税年度のうち、少なくとも8課税年度でグリーンカード保有者だった方を指します。[1]
この8年は、単純に入国日から8周年を迎えたかどうかで判断するものではありません。各課税年度の扱いや、租税条約による居住地の判定も関係します。カードの有効期限が切れた日、日本へ帰国した日、税務上の地位を終了した日が一致するとも限りません。まず、グリーンカード取得から現在までの経歴と、過去に行った条約上の申告を整理する必要があります。
Covered Expatriateの基本的な判定には、次の三つがあります。第一に、放棄時の純資産が200万ドル以上であること。第二に、直前5年間の平均年間連邦純所得税額が、その年の基準額を超えること。第三に、直前5課税年度について、連邦税法上の義務を履行したとForm 8854で認証できないことです。基本的には、いずれか一つに該当すると対象になります。税額基準は所得額の基準ではなく、年ごとにインフレ調整されます。[1]
したがって、純資産が180万ドルでも、申告義務の履行を認証できなければ対象となる可能性があります。また、200万ドルちょうども純資産基準に該当します。出生時からの二重国籍者などには一定の例外がありますが、その例外を利用する場合も、5年間の税務コンプライアンスの確認は必要です。
2 過去5年間の申告を提出しただけでは十分とは限らない
Form 8854での認証は、過去5年間のForm 1040を提出した事実だけを確認するものではありません。該当する所得税、贈与税、情報申告などの義務や、税金・利息・ペナルティの支払状況を確認します。2026年に地位を終了する暦年納税者であれば、一般に2021年から2025年が認証対象です。地位を終了する2026年の申告は、これとは別に対応します。[2]
見落としやすいのが、日本の投資信託です。日本で一般的に販売されている投資信託は、米国税務上、PFICに該当する可能性があります。対象となるファンドについては、Form 8621の提出や特殊な所得計算が必要になる場合があります。分配金がなかった年や売却しなかった年にも、情報申告が必要となることがあり、保有額などによる例外の適用を個別に確認します。[3]
日本の証券会社が日本の税金を適切に処理していても、それによって米国でのPFIC申告が完了するわけではありません。過去の申告書に海外配当の記載があっても、ファンド単位の処理が適切だったかは別の確認事項です。取得日、取得価額、分配金、売却履歴をそろえ、過去のForm 8621と照合することが実務上役立ちます。
海外から受けた相続や贈与も確認対象です。外国人の親から受け取った財産は、米国の所得税がかからない場合でも、金額(年間10万ドル以上)や贈与者の属性によりForm 3520の情報申告が必要になることがあります。外国信託からの分配は、通常の外国人からの贈与とは異なる扱いです。日本の相続税申告を済ませたから米国でも対応済み、という判断は避ける必要があります。[4]
過去の漏れが見つかった場合には、訂正方法、必要な年度、追加税額を検討します。修正申告を郵送するだけで、認証の問題がすべて解決すると決めつけるべきではありません。利用できる手続や認証までの準備を、地位終了の予定日から逆算して進めることが重要です。
3 FBARの漏れは他の申告と分けて確認する
日本の銀行口座や証券口座については、FBARの提出義務も確認します。一般に、米国人が外国金融口座の金融上の権益または署名権限を持ち、その合計額が年間のいずれかの時点で1万ドルを超える場合に、報告が必要です。一つの口座だけで1万ドルを超える必要はありません。所得が生じなかった口座も確認対象になり得ます。[5]
一方で、FBARはTitle 31に基づく報告であり、Form 8854の5年間の連邦税務義務の認証とは法的な位置付けが異なります。FBARに漏れがあるという事実だけで、自動的にCovered Expatriateになると説明するのは適切ではありません。ただし、同じ口座に関する利息・配当・PFICやForm 8938の漏れがあれば、連邦税務義務の問題も別途生じます。[2][5]
そのため、確認時には「口座は報告したか」「口座内の所得は申告したか」「保有商品について追加の様式が必要だったか」を分けて照合します。銀行や証券会社の一覧を作り、休眠口座、共同口座、閉鎖済み口座も含めて確認すると、申告間の不一致を見つけやすくなります。
4 純資産の計算は口座名義だけで判断しない
純資産を把握する際、銀行・証券口座の残高と住宅の価値だけを集計すると、計算が不十分になる可能性があります。米国出国税の検討では、自分がどの財産や権利を実質的に保有しているかを確認します。純資産基準の判定と、Covered Expatriateになった後の所得税計算は、分けて整理する必要があります。[2]
例えば、他人の名義で管理されているNominee Accountでも、資金を自分が提供し、その経済的利益が自分に帰属する場合には、自分の権益として検討が必要です。反対に、自分名義の口座だからといって、中の財産すべてが自分のものだと断定できない場合もあります。名義と実質的な所有関係を示す契約や資金移動の資料が重要です。
夫婦の財産については、コミュニティプロパティのルールが関係することがあります。配偶者だけの名義であることを理由に、全額を自分の計算から除外できるとは限りません。また、共同名義なら常に50%ずつというわけでもありません。居住していた州、財産を取得した時期、取得資金、婚前財産や相続財産の扱いを確認します。
トラストの権益も見落としやすい項目です。受益者としてどのような権利があるか、本人が税務上の所有者とされるかによって、対象財産や課税方法が変わります。「まだ分配を受けていない」「財産はトラスト名義」という事情だけで計算対象外と判断せず、信託契約書を確認することが必要です。
仮に手元の集計が190万ドルでも、別途確認した年金や財産権の評価を加えると、200万ドルに達することがあります。ただし、権利の額面や将来受け取る総額を、そのまま現在の純資産として足せばよいわけではありません。評価の前提をそろえ、負債の計上や同じ財産の二重計上にも注意します。
5 未確定のRSUや海外企業年金にも注意
勤務先から付与されたRSUは、まだベストしていないから出国税の検討対象にならない、とは限りません。第877A条の繰延報酬には、未確定の報酬や将来株式を受け取る権利が含まれることがあります。現金決済か株式決済か、付与契約がどのような権利を定めているかを確認します。[6]
RSUの付与通知には、付与数、ベスト日、退職時の失権条件などが記載されています。通常の証券口座明細には表示されない権利もあるため、勤務先の報酬管理画面だけで判断せず、契約書を保存しておくと役立ちます。純資産判定に用いる評価と、繰延報酬として所得計上する金額について、それぞれ根拠を確認する必要があります。
日本など米国外の企業年金も同様です。確定拠出型では残高が分かりやすい一方、確定給付型では将来の年金を現在価値に換算する作業が必要になる場合があります。年金の見込年額と、出国税の計算に用いる評価額は同じではありません。制度の規約や支払条件を早めに取り寄せることが重要です。
また、米国外で働いて得た年金や報酬には、勤務時の米国税務上の地位が関係します。米国市民でも米国居住者でもなかった期間に、米国外で行った勤務に対応する部分には、第877A条上の除外規定があります。しかし、日本勤務中も米国市民・米国税務居住者だった場合、勤務地が日本というだけでその除外を利用できるとは限りません。[6]
6 資産によって課税方法と支払時期が異なる
Covered Expatriateに該当する場合、一般的な資産にはMark-to-Market、すなわちみなし売却の制度が適用されます。原則として、地位終了日の前日に時価で売却したものとして含み損益を計算します。実際に売却していなくても課税が生じるため、納税資金の確保が重要になります。[6]
みなし売却益には、対象年のインフレ調整後の控除額があります。ただし、この控除額は純資産200万ドルの判定基準とは別です。「控除額以下の含み益だからCovered Expatriateに該当しない」という判断にはなりません。また、税率も一律の出国税率ではなく、対象資産から生じる所得の性質や他の所得によって変わります。
一方、IRA、HSA、Section 529の教育貯蓄口座などは、指定税繰延口座として、通常のみなし売却とは別の扱いを受けます。Covered Expatriateが持つ対象権益は、原則として地位終了日の前日に全額分配されたものとして扱われ、その口座に適用される通常の所得計算ルールで課税部分を判断します。みなし売却益の控除額を、これらにそのまま使うことはできません。[7]
IRAもすべて同じではありません。税引前拠出、非控除拠出、Roth IRAの適格分配などによって課税部分が変わります。529も残高全額がそのまま課税所得になると決めつけることはできず、通常の分配ルールの確認が必要です。出国に伴うみなし分配については早期分配に関する追加税の免除がありますが、通常の所得税まで免除する規定ではありません。[7]
こうした口座では、残高証明に加えて、拠出と運用益の内訳、過去のForm 8606、Roth IRAの履歴などが計算の根拠になります。口座の呼称だけで課税額を予想するのではなく、残高の構成を確認することが重要です。
7 繰延報酬を将来の30%源泉徴収にできるとは限らない
繰延報酬には、Eligible Deferred CompensationとIneligible Deferred Compensationの区分があります。適格となる場合には、原則として将来の課税対象支払額に30%の源泉徴収が行われます。そのためには、支払者の要件に加え、本人による通知や租税条約上の源泉税軽減を受ける権利の放棄など、所定の条件を満たす必要があります。[7]
外国の支払者については、法令上、米国人として扱われる選択に関する規定がありますが、その適用を当然のものと考えることはできません。「日本の勤務先が年金を払うので、将来30%を差し引けばよい」と判断せず、制度と支払者が適格要件に対応できるかを確認します。
非適格の繰延報酬については、原則として、地位終了日の前日に累積した給付の現在価値を受け取ったものとして、所得計上する仕組みです。将来の年金をまだ受け取れなくても、その時点で税金が生じる可能性があります。株式報酬では、権利を確定したものとして扱う規定など、報酬の種類に応じた計算も必要です。[6]
Form W-8CEの提出時期にも注意します。通常、地位終了後30日以内と、地位終了後の最初の分配日の前日のいずれか早い日までに、支払者へ提出します。Form W-8BENと同じ目的の書類ではありません。Form 8854の申告期限だけを見て準備していると、支払者への通知が間に合わない可能性があります。[8]
8 家族経営の株式は評価と納税資金が問題になる
家族経営の会社や非上場企業の株式を保有している場合、購入時の金額、額面、会社の帳簿上の純資産だけで、現在の株式価値を判断することはできません。会社の事業や財務状況を踏まえ、保有する持分の価値を評価する必要があります。純資産200万ドル前後の方にとっては、この評価が対象者判定に影響することがあります。[2]
含み益の計算では、現在の価値と税務上の取得価額を分けて確認します。少額の元手で設立し、長年の成長によって価値が上がった会社では、多額の含み益が生じる可能性があります。ただし、米国居住者になる前から保有していた一定の資産には、出国税計算に限った取得価額調整の特則があるため、古い取得価額だけで税額を決めないことも重要です。一般的に、途中で米国居住者になった場合は、取得価格あるいは、居住者になった時点での市場価値のどちらか高いほうになります。[6]
非上場株式はすぐ売却できるとは限らず、会社に現金があっても、株主個人が自由に納税へ使えるわけではありません。評価資料をそろえる作業とともに、本人の現金・流動資産を確認し、納税に対応できるかを検討します。税額だけを試算するより、手続後の資金繰りまで把握すると判断がしやすくなります。
9 日本の外国税額控除で解決すると決めつけない
米国で出国税を払っても、その税額を日本で全額控除できるとは限りません。日本の外国税額控除には、外国所得税の範囲、国外所得、控除限度額などの条件があります。米国の課税方法だけを確認しても、日本側の結果は分かりません。[9]
往々にして、日本の税制は米国の出国税を罰金として見て、所得税とは考えてくれないと思います。これは、すべてのケースで外国税額控除が使えないという意味ではありません。本人の居住地、所得の種類、資産の所在地、実際の売却時期、条約の適用を踏まえた個別検討が必要ということです。日本側の専門家と、同じ資料と前提を使って確認することが望まれます。
10 将来の贈与や相続に対する課税も見据える
Covered Expatriateとなった後、米国市民や米国居住者などへ一定の贈与・遺贈をすると、第2801条による課税が生じる可能性があります。この税金は、基本的に受け取る側が負担する制度です。所定の年間除外額を超える対象額に、その年の連邦遺産税・贈与税の最高税率が適用され、現在の税率は40%です。[10]
ただし、すべての贈与・相続に一律40%が課されるわけではありません。米国で適切に申告された一定の課税贈与や遺産に含まれる財産、条件を満たす配偶者への移転などには例外があります。また、ここでいう米国居住者は、所得税の滞在日数による判定とは異なり、贈与・遺産税上のドミサイルを基準に判断します。[10]
このため、米国に住む子どもへ将来財産を渡す予定がある方は、自分の出国時の税額と、家族が受け取るときの税負担を分けて考える必要があります。みなし売却益が控除額内に収まった場合でも、Covered Expatriateとしての地位が、将来の財産移転に関係することがあります。
IRSはForm 708とその説明書を公表しています。2025年1月1日以降に受け取る対象の贈与・遺贈については、最終規則と現行の申告手続を確認する必要があります。「出国時の申告を済ませたから、家族への移転についても対応済み」と考えず、家族と記録を共有できるよう準備しておくことが重要です。[10]
11 放棄や返納の手続前に準備したいこと
まず、米国の地位終了予定日を明確にし、グリーンカードの保有年度や過去の申告内容を確認します。次に、国内外の財産一覧を作り、銀行・証券口座以外の年金、RSU、非上場株式、共同財産、信託の権益まで記載します。そのうえで、それぞれの評価額と課税方法を整理すると、必要な資料や未解決の問題が見えてきます。
準備資料としては、直前5年分の申告書と情報申告、口座明細、投資信託の取引履歴、不動産の取得資料、年金規約、株式報酬契約書、信託契約書などが役立ちます。夫婦や家族の名義を使う財産については、所有関係を説明する資料も重要です。古い資料の取得や非上場株式の評価には時間がかかるため、手続直前に着手すると選択肢が限られることがあります。
過去の申告漏れを整えられるか、純資産の評価に根拠があるか、将来の報酬について支払者が必要な処理を行えるかを確認し、米国と日本の税額、納税資金、家族への影響を合わせて検討します。Form 8854を作成する段階で初めて問題に気づくことを避けるため、放棄や返納の前に検討を始めることが大切です。
CHI Borderへのご相談
CHI Borderでは、米国市民権放棄やグリーンカード返納に伴う税務上の検討、Form 8854、最終年度の米国申告などについてご相談を承ります。純資産が200万ドル前後の方、日本の年金や投資信託を保有する方、過去の申告に不安がある方は、ウェブサイトの相談予約またはお問い合わせフォームからご連絡ください。
法律上の検討が必要な場合、Fujimoto Law Corp. P.C.が別途の弁護士契約に基づいて法律サービスを提供します。税務業務と法律業務の範囲を確認し、個々の事情に応じて対応を検討します。
免責事項
本記事は2026年10月時点の一般的な情報提供を目的としており、個別の税務・法律・金融上の助言ではありません。適用結果は、国籍、居住歴、財産の所有関係、契約内容、申告状況、租税条約などによって異なります。年ごとの基準額や申告様式も確認が必要です。市民権放棄、グリーンカード返納、贈与などを行う前に、個別の事情について専門家にご相談ください。弁護士・依頼者間の秘匿特権の適用は、依頼関係や通信内容などによって異なります。
参考資料
[1] IRS Expatriation tax
https://www.irs.gov/individuals/international-taxpayers/expatriation-tax
[2] IRS Notice 2009-85 Section 2およびSection 3
https://www.irs.gov/irb/2009-45_IRB#NOT-2009-85
[3] IRS Instructions for Form 8621
https://www.irs.gov/instructions/i8621
[4] IRS Instructions for Form 3520
https://www.irs.gov/instructions/i3520
[5] IRS Report of Foreign Bank and Financial Accounts FBAR
https://www.irs.gov/businesses/small-businesses-self-employed/report-of-foreign-bank-and-financial-accounts-fbar
[6] IRS Notice 2009-85 Section 3およびSection 5
https://www.irs.gov/irb/2009-45_IRB#NOT-2009-85
[7] 米国内国歳入法第877A条およびIRS Notice 2009-85 Section 6
https://uscode.house.gov/view.xhtml?req=granuleid:USC-prelim-title26-section877A&num=0&edition=prelim
https://www.irs.gov/irb/2009-45_IRB#NOT-2009-85
[8] IRS Form W-8CEおよびInstructions for Form 8854
https://www.irs.gov/pub/irs-pdf/fw8ce.pdf
https://www.irs.gov/instructions/i8854
[9] 国税庁 居住者に係る外国税額控除
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/1240.htm
[10] IRS Instructions for Form 708および第2801条の最終規則
https://www.irs.gov/instructions/i708
https://www.irs.gov/irb/2025-09_IRB